コーヒーがきっかけで人生が変わった!
Good day mate!!!
旅とコーヒー大好きバリスタのTomoです。
最初のブログで自己紹介の際に、ワーホリでオーストラリアへ行って現地のカフェで働いた事がきっかけでバリスタと言う職業に興味を持ったと書きましたが、今日はその辺りの詳細を綴っていきます。
三十路女の海外逃亡(ギリホリ)スタート!
いざ、出発!
2013年の2月、当時色々病んでいた私は現実逃避をするためオーストラリアへ行きました。
英語を習得するためとか、海外で仕事を得るためって言う理由ならかっこいいですが、その時の私には例え現実逃避だったとしても環境を大きく変える必要がありました。
何も考えず遊ぶだけで1年間を終わらせるつもりはありませんでしたが、明確な目標などは特にありませんでした。
日本では経験出来ないような事を出来るだけ経験していこうとだけ決めていました。
それまでも英語の勉強はしていましたが、現地で仕事をすぐにゲット出来るほどの会話力はないのでまずボランティアとして、Brisbane郊外の老人ホームで住み込みで働いていました。
そこで2ヶ月過ごした後、ワーホリのエージェントからカフェの仕事を紹介してもらいました。
場所は何と、ウルル(エアーズロック)があるノーザンテリトリー!!英語で接客の仕事が出来るか不安だったし、長距離移動して砂漠のど田舎に暮らせるかというのも不安でした。でも日本では出来ないような事をすると決めていたので、まさに砂漠で生活するなんて日本にいたら絶対しないような経験だと思い、行く事に決めました。
赤土と岩とハエだらけのRed Center
Brisbane空港からAliceSpringsの空港までは飛行機で行き、そこからシャトルバスでバッパーのあるシティ(街?)へ。バッパーで一泊して、翌朝ウルルやカタジュタ、キングスキャニオンへ行く観光バスに乗せてもらい、新たな職場へと向かいます。
1日では辿り着けない事に最初は驚きました(^_^;)
初めてのオーストラリア国内の長距離移動でとても不安でしたが、バッパーで相部屋になったオランダ人の女の子がフレンドリーですごくいい子だったので、すぐに打ち解け1日過ごしただけでしたが、観光したりご飯を一緒に食べて不安だった気持ちもなくなりました。
翌日、観光バスに乗って職場へ向かうのですが、まだまだ簡単には辿り着けません!
トイレ休憩も兼ねて、サービスエリア的な所で休憩があり、ラクダに乗る体験をしたり、エミュやディンゴ(野生の犬)を見たりして、大体3時間弱くらいした所で降ろされます。そしてそこに新しい職場の上司が車で迎えに来て、職場まで数時間。。。(もう何時間かかったかあまり覚えていません…)
バッパーからトータルで5、6時間位かかってたかなぁ。
バスや車に乗って揺られている間の景色は岩と葉っぱのない木と赤土のみ!ずっと同じ風景です。
「こんな所で生活していけるだろうか。。。?」
そう思いながら、窓の外をずっと眺めていました…
スパルタコリアン上司に1日目で辞めたくなった
私の職場はキングスキャニオンが近くにあるキャンプ施設内のカフェでした。仕事初日はカフェの業務を色々説明されたのですが、まずコリアン上司が早口で何を言ってるのか聞き取るだけでも精一杯。エスプレッソマシンの使い方やドリンクメニューの作り方、サンドイッチやバーガーの作り方などなど。これだけでも頭の中パニックなのに、レジでオーダー取る際にはお金のやりとりもあるし、クレジットとかエフトポスとかカード諸々の処理もあり1日で覚えるなんて不可能!
でもこのコリアン上司は出来て当然の如く、指示してくるし、それで何を言ってるか理解できてない私にうんざりしたのか
「あなたが悪いんじゃない、英語の出来ないあなたを来させたエージェントが悪いんだ。」
と私に言い放ちました。この時はとてもヘコみ、部屋に帰って出来ない悔しさと、やるせなさで泣きました。
しばらくはこんな日々が続いたけど、そこでの経験が、今の私がいる全ての始まりです。
4ヶ月半、電話の電波もなけりゃテレビも見れない。やることと言ったら、寝る・食う・働くの繰り返し。たまに休みの日に観光エリアのツアーに参加したりもしたけど、基本職場の敷地にしかいないので、買い物とか出来ません!その期間で使った生活費はおそらく1万円行かなかったと思います。
何もなくてシンプルな生活でしたが、一緒に働く仲間がいてお客さんから
「美味しかったよ!」
と言われる事が日々の幸せでした。
あと雄大な自然も!!
朝日や夕焼け空や星空は本当に美しかったです。
4ヶ月半のカフェ勤務を終えて次の行き先Perthへ!
初めは接客英語もろくに出来ずレジ関係に苦労したものの、徐々に慣れコーヒーを作る事に関しては誰よりもハマっていました。ラテアートが出来るようになりたかったし、お客さんに美味しいって言われて嬉しかったけどもっとクオリティの高いものを提供したいという思いが沸々と私の中で沸き上がっていました。
キャンプ施設での勤務が満了し、私が選んだ次なる場所は西オーストラリアのPerth。
次は自分の力で、バリスタの仕事を見つける!と決めていました。
が!
実際にバリスタの仕事を探していると、大抵はバリスタ経験が2年以上とかじゃないと相手にしてもらえません。
1日で取得出来るバリスタのcertificateとかも取ってみたけど全くの役立たずでした(´;Д;`)
2ヶ月程レジュメを配り続けたけどほぼ全滅。
近所にあった、カフェにダメ元で行ってみたら雇用は出来ないけどボランティアならオッケーとの事。
この際、少しでもカフェで働ければ何でも良い、
Better than nothing(何もないよりよい)
と思いそこで、しばらく働きました。
結局、Perthにいた間はカフェの仕事はそのボランティア位で、別でナニーの仕事をしたり自分でアクセサリーを作って販売してみたりといった感じで私のワーホリ生活は終わりました。
“カフェでバリバリ働く”
Perthでは思うようなバリスタの仕事をゲットする事が出来ず、不完全燃焼のまま日本に帰ってきたので、日本でもバリスタの仕事を探しました。そして第1希望だった場所で働ける事になりました。
その時はまだコーヒーの知識はほぼなく、働きながら職場の先輩から学んだり休みの日にコーヒーセミナーに通ったりしていました。
アルバイトで入ってしばらくは店舗スタッフとして働いていましたが、先輩や上司らが辞めて行き、気付くと自分も古株になり、店舗責任者になり社員になりトレーニングマネージャーになり、自分の意思とは反対にあれよあれよと出世して行きました。
帰国した時はまさか自分がここまで飽きずに続けられ、同時にキャリアアップも出来るなんて想像もしませんでした。今までは正社員になって色々面倒な事までやりたくない!と思っていましたが、30過ぎて久々に正社員になってみてこんなに責任ある仕事にやり甲斐を感じれるとは…そして何より安定の収入。(これ重要)
ボスからも信頼され、自分のやりたい仕事はある意味何でもやれる状態でした。一時期は
「こんな会社辞めてやる!」
なんて思った時期もあったけど、
“自分のしたい事が出来る環境”
だと気付いた時、私はここで出来る限りの経験を得て何も得るものがなくなったら辞めようと決めました。
そんな訳で、4年半バリスタとしてたくさんコーヒーも淹れたし、店舗運営や新人育成も学べたし焙煎もそこで触れる事が出来ました。
さらに社長や副社長は外人でスタッフも外人が多かったので、英語はかなり伸びたんじゃないかと思います。おそらくオーストラリアにいた頃よりも使っていた…
とは言っても、ペラペラって程ではないけどビジネス場面での英語メールとか、話の流れで何を言っているのか理解する力とかその辺が出来るようになりました。
明確な目標のない、ただの現実逃避で行ったオーストラリア。そこでコーヒーと出会い私の人生は大きく変わりました。
結果的には環境を大きく変えることで、新たな発見があったので本当に私はラッキーだったなぁと思います。(ただの現実逃避で終わらなくて良かった…汗)
そして今もなお、コーヒーに夢中です!